以下述べることの意図に、決して該当する人間を貶すことを含まない、ということを先ず承知して頂きたい。
誉められるとのびる、という言葉があり、これの意味するところが即ち、「自身のある性質について誉められると、その性質がより顕著に現れるようになる」、であることに異論は無ないと思われる。では自らを、誉められるとのびるタイプであると自称する人間と、他の人間の差異はどこにあるのであろう。なぜのびるのであろう。なぜ自覚しているのであろう。ここまで言葉にすると既に答えは一つしか用意されていないように思えてならない。すなわち、自らの特徴として意図的に用意してある、或いは無意識の後に自覚している、ある性質を彼が彼の意思によって増幅させている、といえるのである。それによって自らを拡大し、個性を身に付け、人間関係を円滑に行う意図があると思われるのであるが、ではなぜ、それを行わない人間が居るのであろう。自らに意図的な個性を用意しない人間には二種類居り即ち、意図的に個性を用意する必要が無い、換言すれば、他人とのコミュニケーションに自らを必要としない人間、過去に個性を用意していたことを自覚し、嫌悪し、意図的に個性を排除することにより自らを自らにとって個性的にする意図をもった人間、の二種類なのである、と言える。幼少から前者である人間、後天的に前者である人間がおり、後天的な前者は後者を経験している場合もあるのだが、ここでは 後天的な前者と後者の差が自然、不自然、であることを述べるだけにしておくことにする。