この感情を誰かに知らせなければ嘘になる。存在しないことになる、というのは言葉のあやかもしれない。他人に知らせなければ感情としての意味を成さぬ類いの感情である、という言葉遣いがもっとも正しいように思えるのである。
うれしい、かなしい、たのしい、ここちいい、それらだけで表し得ない感情が世の中には眼がちぎれるくらいに存在しており、それらを発見した際の喜び、孤独感、これらが「僕が、私が居るのに。」という言葉の裏側にあるのではないだろうか。