何も考えないとはいえ、音楽が人を救うのか否かについては前々から考えていたので、coccoを聞きながら考えてしまう。
音楽による感動が憂鬱を紛らわせるのか、或いは歪まない現状に対して視点を変えて挑む力を与えるのか、これは一重に、送り手と受け手がどの程度シンクロするか、の一点にかかってくるように思われる。
どれだけ死に近い音楽であっても、聞き手の耳に届いたということは死を選ばずに何らかの努力をして人前に出ているのであるから、もし送り手の心境が受け手にそのまま伝わるなら、音楽が人を救う事は起こりうる。
そして、良い音楽の作り手とは、人を死から遠ざけ娯楽として生きる力となるものを作る事が出来るか、すなわちどの程度作曲時の心境を受け手に伝えることが出来るか、どれだけ繊細に現実を感じ取る事が出来るか、によって決定される。
と書きかけて何か違和感を感じたので走り書き程度にとどめておきます。toolの楽曲とcoccoの楽曲は全く構造を異にしている。最もおおきな違いは、送り手と受け手の関係が異なる、という点において人種、言語辺りにあると思うのだけれど、全ての音楽にここに書いた事が通用するかどうか、疑わしい。プログレッシヴ・ロックやジャズなんかにはおそらく適用出来ないと思う。暗い日曜日、なんていう人を負の方向に動かせる音楽も存在するし、全ての音楽に通用する理論は僕には構築出来ないのでしょう。
でももうそんなことはどうでもいいからcoccoの声に浸っていたい。