彼と仲良くなれそうな友人はいるものの、嶽本野ばらが身近にいたとしても僕は仲良くなれないにちがいない。一緒には住めない。マリリン・マンソンもそうだ。そして、自らの属する人種の代表者としてカリスマを見る。
カリスマのファンは無駄にカリスマとは馴れ合わない。(仲良くなれない、とはちがう。野ばらもマンソンも僕のカリスマではない。)自分をカリスマのよこにみているから。
これがステージのうえとしたで服装や容姿に共通点がみられることと繋がる。
女の子のいう「かわいい」えびちゃん(本名知らないの)が男の子たちの会話において貶されるのは、えびちゃんが彼女たちのカリスマであるからだろう。基本的にはカリスマは同性のものだ。野ばらのようにそうでないものも存在するが。
すなわち、可愛くて仕事ができ、社会的地位をもった、私たちの代表者。可愛いくあることの体現者、としてみているのだ。
ふぇ…