色々考えたって、保護室で座り込んでひたすら時が過ぎるのを待っている間、恋人の顔が浮かんでは消える理由が解らない。人間には、つらい状況に陥った時に頭の中で空想する事によって一時的、擬似的な救済を自分で作り出す癖があるのかもしれない、といいかけて辞める。あれは救済ではない。ただの不満足である。普段心のよりどころにしているものが、ストレス負荷の強い時に頭によぎるのは当然といえば当然と申せるけれど、普段から会いたい、とは思うものの、あの時程会いたい事は無かった。一人で泣いて、落ちていって、でも足下が定まらない。会いたい→会えない→苦しい。の順番であるのは間違いないので、ストレスのある時に更に自分で自分にストレスをかけていることの不思議さに違和感を感じる。救済を求める、事によって救済されない状況が作り出される事は必然といえば必然であるのだけれど、空想して、そこで満足する事は不可能なのだろうか。